対話力

コミュニケーションの大切さは誰もが感じるところだけど、中々上手く行きませんね。それは、多くの人が「コミュニケーション=会話」と思っていて、話をすれば良いんだ的に思っているからではないでしょうか。ただ単に話をしても信頼関係を増すなんてことはなく、相手の事を理解しようと思った時に会話は対話になるのだと思います。

 

会話と対話。似ているようでどうも違うようです。劇作家の平田オリザさんの定義だと「会話」は親しい人同士のおしゃべり。「対話」は異なる価値観などをすり合わせる行為。しかし日本語の辞書では「【対話】向かい合って話をすること」などとされ、区別がない。のだそうです。

 

日本的な発想の中には、「言わなくても分かるでしょう。」的な雰囲気が多々あります。1を聞いて10を知る能力こそ大事と、何かを聞く事が恥のような印象さえあります。でもそれは、同じ環境にいて価値観の近い者同士の間での現象で、これだけ生活環境や価値観の違ってしまった現代では、「言わなくても分かる」は、幻想の様に思えます。日本的情緒や文化、奥ゆかしさは素晴らしいのですが・・・。

 

時代は動き、新しい流れが確実に起こっています。だとすれば、コミュニケーションを成立させるには、おしゃべりの「会話力」より、異なる価値観などをすり合わせる行為である「対話力」が求められているのではないでしょうか。「対話」は、価値観のすり合わせをして新しい価値観を生み出しお互いが変わる事を目的とします。

 

変わるためには勇気が必要です。「対話力」を鍛えるは、変われる勇気を身に着ける事なのかもしれません。変わらない事の大切さと変われる勇気。この二つのバランスをどう取るか。様々な場面で突き付けられてる気がします。